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かつてゲーオタだったかもしれない人の日記

ゲームにおける死の表現?

「死の表現をめぐって」

うむ、すごく真面目な考察ですね。
ゲームが文化としてのより多くの人に認識され、理解されるためにもぜひ頑張っていただきたい事です。ってもう終わったんですね。反響はどうだったのか気になるところです。

さて一介のゲーオタである私としても「ゲームにおける死の表現」についていろいろと思うところがあります・・・けど、
そういう真面目な考察はこういう方々や、ネット上の他のサイトの人たちに任せておけばいいやという事で私なりに適当に書いてしまいます。

だいたいその題材にあがっている大塚英志さんの『キャラクター小説の作り方』とやらの中で解説されているゲームに対する表現の危惧(死がリセット可能とか、ゲームが表現の努力をしていないとか)というのがまぁずいぶんとステレオタイプ的だなと感じるくらいですし。


私のよくプレイするジャンルといえばアクションやシューティングですが、それらでのミスやゲームオーバー=死と考えれば死というものがずいぶん軽く表現されていることになります。
マリオやソニックなんてその際たるものでしょう。
しかしそれらは軽い表現しか「できない」のではなくて軽い表現に「している」のだという事はゲームが好きな人ならすぐわかるでしょう。

だってテンポ悪いじゃないですか。

RPGやADV、SLGならまだしもアクションやシューティングで1回1回そんなことしてたらゲーム的にストレスが溜まってしょうがないでしょうが。

ただしゲーム内で死を「積極的に」表現しようとしているアクションやシューティングだってあります。味方ではなく敵中心ですが、私の大好きなエスプレイドなんてそうですね。(これはキャラデザインの井上淳哉さんのこだわりが大きいでしょうが)


ここまでアクションやシューティングを中心にしてきましたが、ではRPGやADVなどでは死は表層的なものとしか描かれていないのかと尋ねられれば・・・そんなのわからないです。
作品によって違うとしか答えられません。ただ少なくとも「表現できない」とか「映画や小説よりも努力が軽い」という事はありえないでしょうが。

まぁそういう人に対してはとりあえずサターンの「マリカ~真実の世界~」でもプレイしてからもう一度同じセリフを吐けるかどうか試してみやがれというのが私の本音ですが。

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