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かつてゲーオタだったかもしれない人の日記

ビデオゲームは文化だ

久しぶりに少し自分語りでもしてみるとします。

私はビデオゲーム(以下ゲーム)が大好きです。
そうでなければこんなブログやらHPなんざやってないわけでして、何をいまさらという話ですがあらためて確認しておくというのは大事なことです。

その上でゲームというものについてどう考えているのか、それを一度文章にしておきたいのです。

「ゲームは子供のおもちゃ」
「ゲームは万人が楽しめるものでなければならない」というのは割と目にする考え方です。
私はこれらの考え方が嫌いです。
かといって「ゲームは大人のもの」「マニアのもの」かと問われればそれも違うと思います。
子供向けのものがあってもいいし、大人向けのものがあってもいい、万人向けのものも必要だし、一部のマニアだけが楽しめるものがあったっていい。
多様な作り手がいて、同時に多様な受け手がいる。一つ例を出すと仮に作り手がゲーム上不可欠な表現として残酷描写や暴力描写などを含んだゲームを作ろうとしたとします。そこで大切なのは子供に悪影響を与えそうだからといって表現そのものを規制・削除するのではなく、18禁なり親が買い与えないなりして他のゲームとしっかり区別することでしょう。万人が安全・簡単に楽しめるゲームというのはひとつの理想ではあります。しかしそれだけでは作り手が絶対に表現できない・受け手が味わえないものもあるのです。
どれか一つが正解などという事は無い、大切なのは可能性を広げることであって狭めることではないのです。それが文化として健全なあり方なのではないでしょうか。

逆に言えば上の考え方はゲームをバカにしているとさえ私は思っています。

「文化として」と書きましたが、ゲームとは一つの文化です。
今の私は誰に尋ねられようと何の躊躇いもなくきっぱりとそう断言できます。
そう断言できるに至った理由ですが、「今の」と付いているように昔、5~6年前まではそうは思っていませんでした。そのころまでは単なる娯楽、暇つぶし程度であり、小説や映画などと比べてとても文化と呼べるものではないと思っていました。

転機はWinアスカを止めてコンシューマに戻ってきてからでしょうが、何か特別な一つのゲームと出会ったわけではありません。以前よりもいろんなジャンルに手を出すようになり、それら出会った数々のゲームのおかげです。


メガドラ買ってサンダーフォースⅣからシューティングの面白さを学んだこと
ガンスターやヘッディーでトレジャーというメーカーとゲームの面白さに脱帽したこと
方向キーの硬いメガドラパッドで指を痛めつつアクションRPG好きとしてランドストーカーやキングコロッサス、トアやラグナセンティに夢中になったこと
海原川背&旬でルアー操作の習熟に苦戦しつつもそこから出来る無数のアクションに喜びと楽しみを見出したこと
パルスマンやタルルート、BUSHIやスクリューブレイカーなど一連の作品でゲームフリークのゲーム作りの丁寧さに感心したこと
Winシレン・Winアスカでネット&他のプレイヤーに触れたことで以前より不思議のダンジョンを遊びこむようになったこと
レイシリーズやダライアスなどでタイトーシューティングの演出やZUNTATAの音楽に引き込まれたこと
ジャンピングフラッシュ1・2とロビットモンジャで今まで無かった浮遊感を味わったこと
フィロソマのいろんな意味でのもったいなさを惜しんだこと
カオスシードでプレイしていない時にまで仙窟の設計が頭に浮かぶようになってしまったこと
ナイツのスコアアタックに夢中になり、またゲームにおける表現というものに感動を覚えたこと
シルフィードやグランディア、ゆみみやだいなあいらんでゲームアーツの技術力に唸ったこと
シャイニング・フォースⅢ3部作+プレミアムディスクでお腹いっぱいになるまで壮大なボリュームを味わい、セリフに若干頭を痛めたこと
ネオリュード3作におけるシステムとキャラクターの見せ方の両立具合に目を見張ったこと
リップやマリカをはじめとした遠藤さんの作品でゲームにおけるストーリー展開のさせ方に引き付けられたこと
マリカに加えてEVEやYU-NOなどでゲームにおける年齢制限と表現について考えさせられるようになったこと
どつぼちゃんやアースワームジム2、ミスターボーンズなどでプレイしていて思わず腹を抱えて笑ってしまったこと
ゲーム天国でゲーム中から溢れんばかりのスタッフのサービス精神と愛を感じられたこと
くるみミラクルのどのエンディングでの幸せそうなくるみになんだか心を救われたこと
こみゅにてぃぽむやキッチンぱにっくなどPSの全然知られていないゲームにも面白いのがいっぱいあるんだと学んだこと
スカイガンナーのOPと世界観に魅惑されながらも、難易度とミッション、ストーリーの構成に感心したこと
パネルでポンやグンペイ、ルミネス、ダイヤルヘックスなどでパズルの楽しさ・奥深さを再認識したこと
ナップルテールの世界の暖かさに癒されたこと
Rezプレイ中にもたらされる音と光と振動に今までに無い興奮を覚えたこと
ブレイクダウンの始終一人称という表現にビデオゲームならではという問いに対する1つの回答を見たこと
アーケードでシューティングをプレイするようになり、コンシューマとは違うもう1つのゲームの世界が存在しているのを知ったこと
「それポン」を読んで、少しではあるもののアーケードの歴史についての知識を得、また同じ時代のコンシューマの移植作などからアーケードの凄さを知ったこと
CAVEシューで弾幕を避ける楽しさ・快感を体感したこと
雷電や19XXで破壊の楽しさ・爽快感を味わったこと
グラディウスⅡの87年にも関わらずその完成度の高さに驚愕したこと
斑鳩の意外な懐の広さに諸手をあげて歓迎したこと
過去からシューティングの流れを追っていくうちに現在の絶望的な状況を知ってとても嘆き悲しんだこと
ミスタードリラーのシンプルなルールと無限の中毒性から抜け出せずにいること
スピカアドベンチャーというゲームに出会えたこと


思わず読み飛ばしたくなるくらいずらずらと列挙しましたがこれでも一部です。
出来ることなら今までプレイした全てのタイトルを挙げるべきですが、物理的に無理ですし、それにプレイして特に何とも思わない・あるいは投げつけたくなるゲームがあったのも事実なので結構絞った結果です。

またゲームというものは各作品によって在り方が大きく異なります。
パーティゲームのように仲間・家族・友人などで盛り上がるためのツールとしての作品もあれば、まるで映画や小説のようにストーリーに重点が置かれた作品もあります。コンピューターRPGやシミュレーションRPGのようにキャラクター育成が重視される作品もあれば、アクションやシューティングのようにプレイヤー本人のテクニックが問われる作品もあります。映像に力を入れた作品もあれば音を頼りにプレイする作品もあり、操作デバイスに工夫を加えた作品もあります。私個人は好きではありませんが、女の子と仲良くなるのが目的の作品もあります。制作者のメッセージがストーリーを通じて語られるような作品もあれば、ゲームをプレイし、クリアすることが制作者との闘いとも言えるような作品もあります。

作り手と受け手こそ存在してはいますが、その在り方は他のメディアと比べて実に多岐に渡ります。作り手と受け手が一直線につながっている作品もあれば、作り手は道具を提供しただけで後は受け手だけでいろいろな遊び方を楽しむなんて作品もあります。

要はゲームの在り方など自由なのです。
もちろんアクションなら操作性やレスポンスに優れていた方が良いとかパズルならシンプルなルールがいいのではないかとかプレイする上で気にすべき点はあるでしょうがそれはまた別の話です。

上に書いた数々のゲームでの体験あるいは付随した出来事を知っていくうちに、そしてゲームの在り方の自由さを知っていくうちに、ゲームに対してただの娯楽を超えた可能性というものを私は少しづつ感じ、期待するようになったのです。
ゲームに夢を持ちすぎと思われる方もいるでしょうし、それは君がゲームに依存しすぎて見ている白昼夢なのだと笑われる方も居るかもしれません。例えそうだとしても私は何も後悔してはいません。

これが今の私が「ゲームとは一つの文化である」と断言するに至った理由です。

ゲームがもっと発展することを願って最後にもう一度書きます。
おそらくこれからもずっとそうでしょう。

私はビデオゲームが大好きです。

コメント

昔の事を掘り返してみる

http://cgi.www5e.biglobe.ne.jp/~sinzy/sbs/sr2_bbs.cgi?action=show&txtnumber=log&mynum=675&cat=&t_type=tree

>「避ける」という行為があまり性に合わないような気がします。
そんなnintenさんもこんな事を言っていた時期が・・・
今見るとちょっと驚き?


自分的に、面白いゲームというのはやっぱり制作者が頑張っていることがわかるかどうかが大きいかなーと。
私がやりまくったゲームといえば・・・最初に出てくるのがロックマンですが
この中でも面白いと思う作品はよく作り込んである感じがして、
逆に面白くないものは手抜き感が感じられたりシステムが矛盾してたり(初心者向けのシステムと初心者殺しのシステムが両方入ってるとか)
もうちょっと調整できただろ、って思えたり。


あと昔のゲームで「ファミコンでよくこんなの表現したなぁ」とか「この時代でこのグラフィックは驚きだっただろうなぁ」といったところ、
昔は何とも思わなかったのですが最近感銘を覚えるようになりました。
これもやっぱり制作者の努力が見えるからなのかな~と思ったり。

結局、ゲームで大事なのは制作者が何をやりたいかがゲームに込もっているかなのかな、と。
ゲームというのが制作者のやりたい事をユーザーに伝える手段である、という風に考えると
なるほど、確かに小説や映画などと変わらない、立派な文化だなぁと思えてきます。

  • 2007/12/18(火) 22:58:13 |
  • URL |
  • AMO #NFMCYCjU
  • [ 編集]

ホリホリホリホリホリカエス

>避けるのが性に合わない
まさか約2年半前の書き込みを持ってくるとは…これは「あんたの過去の書き込みは一言一句全部保存してるぜ」という脅迫に違いありません!あなオソロシや。
それはさておき、これ確か虫姫さまプレイ後に書いた一文ですよね。ならば別に今も変わってはいませんぜ。その後プレイしたエスプレイドとかの避けは楽しいですが、虫姫さまの弾避けは今も相変わらずしんどいですもの(ついさっき両方ともプレイして)。個人的にはケツイや大往生1周よりも虫姫マニアックの方がはるかにキツイくらいです。
CAVEってひとまとめにせずにエスプレイドにしとけばよかったか…。

>制作者が頑張っているかがわかるかどうか
必ずしも頑張っている→面白いになる訳ではないでしょうが、やっぱり面白いものにはそれなりのもの(アイデアとか構成とか技術とか…制作者の意気込みとでも言いますか)が感じられるのは確かでしょう。これはゲームに限らず全ての創作活動に言えることでしょうが。

私が齧ったロックマンシリーズはそれほど多くは無いですが、私の場合はボス戦でのパターン構築の度合いで特にそれを感じますな。

>昔のゲームで感銘
これは制作者の努力もそうですが、受け手の知識向上によるところも大きいですね。
ベタな例ですが、MDに回転機能が無いことを知らなければソニック1のボーナスステージの凄さも分かりませんし、64色しか出ないことを知らなければエクスランザーのパッケージ裏の128色という表記に驚くことも無いわけです。
他にもパソコンを使うようになってデータのサイズを気にするようになってから、昔のゲームの詰め込み具合に驚嘆したりと直接関係ない事柄から繋がったりすることもあります。ドラクエ2が1Mビット=約128キロバイトでアレかよ!凄ぇ!G.T!!(グレート・トンヌラ)といった具合です。<どういった具合だ


>制作者のやりたい事をユーザーに伝える手段
それももちろんあるのですが、それ以外にももっと可能性があると私は感じているのであります。

  • 2007/12/19(水) 04:16:42 |
  • URL |
  • 筆者 #mzMb781o
  • [ 編集]

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